『東京タラレバ娘』は説教芸か?

『東京タラレバ娘』で“説教芸”に興じる東村アキコは、愚かなお笑い芸人のようだ|サイゾーウーマン

タラレバのそれにおいては醜悪な言い訳が冗長に展開される。いわく、「別に私は『女は結婚しなきゃダメ』とか『女の幸せは男で決まる』とか『結婚できない女はかわいそう』なんて全く思ってません」とのこと。
30過ぎたら女は『愛する』よりも『愛される』幸せを選ぶんタラ!!」「酔って転んで男に抱えて貰うのは25歳までだろ。30代は自分で立ち上がれ。もう女の子じゃないんだよ? おたくら」「才能なんて関係ないんタラレバーッ。そうレバ、この世は金とコネと……そして女は若さと美しさタラ!!!」「女は結婚すればセコンドにまわって、旦那さんや子供をサポートしながら応援して生きていくレバ」。縄文人もびっくりの時代錯誤な言動である。
タラレバのメッセージらしきものの大半は明らかに女性差別であり、完全にアウトだ。

縄文人もびっくりのこの言動は、現実問題として、いまだに女性に向けられている。妄想とはいえ、異質な者からこれらのメッセージが発せられ、主人公はそれを受けとる。その構図が重要だ。

『無頼化した女たち』によると、社会は、バリキャリとして活躍する女性像と、母親として子育てする女性像、その両方をダブルバインドで押しつけてくる。仕事基準での勝ち組・負け組と、結婚基準での勝ち犬・負け犬を区分して、勝ち組だけど負け犬、と自虐する女性について指摘する。

タラレバの女性は、(いちおう)勝ち組負け犬である。しかし、仕事を失いかけたり、恋のチャンスができたり、勝ち組と負け犬、それぞれの立場が、不安定に揺らぐ。勝ち組で居続けよう+負け犬でいい、勝ち組を捨てよう+負け犬を脱しよう、どのような選択をすべきか、悩んでいる。

その悩みに拍車をかけるのが、異質な者からのお説教=社会が女性に言い続けてくるメッセージだ。「勝ち組でも負け犬では意味がない。若くないならちやほやされなくて当然。女が成功するためには枕が大事だ。女の価値は家庭で決まる」は、東村アキコの説教ではない。東村アキコが社会から受けとった説教である。社会からの説教を内面化、表出するからこそ、異質な者が自分に向かって発話する妄想劇という構図になる。

そのあたりを一周して、この説教を表現・拡散することが、強化・正当化につながるリスクがある、という指摘ならばそのとおりだが、やはりその場合もこの説教は東村アキコ発ではなく、社会発として否定すべきものだ。

ターゲット層を選ぶのは、そのとおりだと思う。負け組負け犬にとっての勝ち組負け犬ストーリーは、感情移入というより、現実にないシンデレラストーリーとして楽しむものだ。

そういえば『突然ですか、明日結婚します』の男も、勝ち組(いちおう)負け犬である。2つのドラマが、仕事で成功しているが恋愛に向き合ってこなかった男女の反転ストーリーだとするならば、男に説教をかます、異質な他者は出てきただろうか。

無頼化した女たち

無頼化した女たち

広告を非表示にする