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ウェルベック『服従』

将来的にはイスラム教徒が世界を席巻する


服従

服従

ウェルベック『服従』は、2015年出版当時、シャルリー・エブド事件やテロ事件をふまえ、予言のようだと話題になっていた。2022年、イスラム教の政党が、フランスはじめ欧州各国で政権をにぎるという内容だ。 登場人物の会話の中で、ちょうど2017年の話も出てくる。主人公の同僚、マリー・フランソワーズの発言より。

「2017年とおなじようになるわよ、国民戦線が決選投票に残って、そして左翼がまた選ばれるでしょうね。」

現状のフランス大統領選挙の情勢は以下。 決選投票に国民戦線のルペンは残っている。対抗馬が左翼かはわからない。
フランス大統領選、決選投票はマクロンがルペンに勝利か? | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
マリーヌ・ル・ペン - Wikipedia
エマニュエル・マクロン - Wikipedia
この小説では、選挙のあと、モアメド・ベン・アッベスなる人物がイスラーム同胞党を立ち上げる。

イスラム教の政党が、どのような政策を打ち出したか。

  • 労働市場から女性は退出 → 失業率改善
  • 女性には家族手当。初等教育後に、家政学校へ
  • 義務教育は小学校まで、ほかはすべて私立 → 教育予算削減
  • 女性の服装は露出が著しく制限される → 主人公曰く「女性の衣服が節度あるものになってから、欲望は何ヶ月かで消えた」
  • 高等教育に従事するものはイスラム教へ入信
  • 一夫多妻制、仲人の女性が釣り合う相手を探してくる → 60歳まで童貞のような教授が、20代の妻をめとる
  • 資本と仕事の分離。家族経営もしくは労働者が株主
  • 「人間の支配的地位は人間の知性による」という価値観

「伝統主義者たちは、結局はイスラームの家父長制、女性の服従の必要性などと価値観を一致している」と小説内にもあるように、保守政党と親和性が高い政策になっている。また、多様な価値観を守るという名目があるため、イスラム教の政党を攻撃しにくい雰囲気があると書かれている。日本の場合はイスラム系の移民が多くはないために、イスラム化はしないだろうけれど、多様性に逆行する、たとえば「女性は家庭で子を育てるべき」など古き良き価値観を善とする団体はいくつかあり、それらを支持する政治家がちらほら出てきており、完全に他人事でもないと個人的には思う。

フロムの『自由からの逃走』が頭に浮かんでいた。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/00f1/fromm.html

「…からの自由」:個人が独立して存在する前につながれていた社会的絆(一次的絆)から解き放たれること。結果、人間は「個性化」への道を歩み始めるが、その反面全てから引き離されていると自覚し、無力感と不安感を抱く。消極的態度。参考)一次的絆:「そこには個性は欠けているが、安定感と方向付けとが与えられている。…ひとたび個性化が完全な段階に達し、個人がこれらの第一次的絆から自由になると、かれは一つの新しい課題に直面する。…自らに方向を与え、世界の中に足をおろし、安定を見つけ出さなければならない。」(p.35)

多様化した価値観に耐えるよりも、盲目的な信仰の方が楽になる。「あれもこれも正しい側面がある」と言うより、「あれだけが正しく、これは間違っている」という正義を、大多数で共有できる社会。相対主義は個であり、無力感に陥りがちだが、共同的な盲信は集団化して、力が湧く。*1

理性を信じている人は、後者は正しくない、選ぶべきではないと考えるかもしれない。 過去の失敗を踏まえて社会が進歩してきたのだから、と。しかし、実際は正しさ以上に、心地よさや、世の中の流れ、適応次第で、人はあっさり後者を受け入れるのではないか。社会は進歩したのではなく、価値観の極の間をいったりきたりしているだけなのだ。

「他人が求めるものを求める」というフレーズがあるように、これが幸福だとさしだされるものを幸福だと思う。環境に抗うより、心地よく適応していく。主人公のフランソワを見ていても、彼自身の基本的なスタンスはなにも変わっていないように思う。一夫多妻制によるメリットを確かめたり、大学で働くためにイスラム教への入信を受け入れようとするが、彼は彼のままであり、そうした政治からの影響よりも、親の死や彼女との別れ、ユイスマンスとの関わりなどの出来事が主軸に描かれているように見える。

価値観の極をいったりきたり、というのは、フェミニズムにもあてはまる。この小説の中の女性は、とても楽しそうに描かれる。「女性は家にいろ」「服装は制限しろ」「初等教育まで」「一夫多妻制」「女性の身体と男性の社会的地位で組み合わせ」という政策・価値観は、現代の観点から見れば、反発を感じる内容ばかりで、受け入れられるものではない。しかし現代でも、専業主婦がいい、という女性が一定数存在している。また、社会がそう決めたなら、その中で適応していけばいいと考える人も少なくはない。女性の人権を戦って得てきたことには敬意を表するが、結局はひとつの価値観にすぎず、それが正しいかどうかと、大多数がそれを望むかどうかは別の話であり、「家にいるのが幸福」という極に振れる時代もあるのだろう。

O嬢の物語にあるのは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった

「人間の絶対的な幸福が服従にある」とは思わない。ただし「人間の絶対的な幸福が服従にあると感じさせられる、そんな時代もある」と僕は思う。その善悪はわからない。現代においては悪だとしても、そうなってしまった時代においては、それが善になってしまう可能性は十分にある。

*1:蛇足:日本における逃げ恥やAKBのダンスブームは、集団への志向の一端であると思っている。みんなとおなじリズムで、おなじ行動を、おなじように楽しむ。ダンスであるうちは健全だと思う。同時に、こうした活動は集団狂騒に向かう手段のひとつなのだ、という自覚があれば、盲信にはまりにくくなるという利点もある。

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